18世紀の音楽についての考察

4月 17, 2022

 

「いくら入念に記譜しても、必要とされる強弱の一つ一つを規定するのは不可能である。」– D.G.Türk

「現代では18世紀後半の音楽における8分音符と16分音符は常に規則正しく刻まれるように(ミシン的リズムで)演奏されていたと信じられている。これほど音楽的に滑稽なものはない。」– N.Harnoncourt

私が古楽に最も近く接したのは約20年前のケルン音大在学中だ。
基本教科に加え、選択教科のなかに「18世紀の音楽の装飾音技術」を選び、室内楽の先生は二人とも古楽専門で弦楽四重奏の仲間はコンチェルトケルンのメンバーだったから、自然な成り行きで知人からバロック弓を借りて暫くの間奏法を研究してみたり、先生と室内楽でフォルテピアノとの演奏なども試みさせてもらった。そうしているうちにSir R.ノーリントン氏との共演の機会をいただきノンヴィブラート奏法(これについては後述する)に挑戦したり、ベートーヴェンのコンチェルトに自作カデンツァを書いたりした。氏にはその後ライプツィヒにもご招待いただきその路線でバッハの協奏曲を演奏した。
しかし正直なところ少し不満だった。深淵の入り口に立ったまま知識を咀嚼する時間がなかったからだ。プロとしてスタートしたばかりの当時の私は新たなレパートリーを一曲ずつ学んでいくことで精一杯で、バロック弓から普通の弓に持ちかえるのも大変だったし、そもそも古楽器を使用する利点もいまいち理解していなかった。だから暫し二つの世界の間を彷徨った挙句、当分の間は「現代版」で演奏することに決めた。慣れないツールで表面的な問題に気を取られるよりも、現代語でその作品のエッセンス、一番大切な精神的なメッセージを伝えることの方が優先だと思ったからだ。
そしてその考えは今でも変わらない。
とはいえ、所謂18世紀の音楽の様式感の観念 (テンポ通り、楽譜通りに弾かなければればならない厳しさなど)を疑い続け、暇をみては歴史的な教科書を開きそれらを手掛かりに私なりの「現代語訳版」に取り入れてきた。そして「いつか」は必ず、腰を据えて挑みたいという気持ちを持ち続けたのだ。

その「いつか」を意味する「十分な時間」は2020・21年のパンデミックという予想外の災難と共にやってきた。 研究書を読みふけり深い森に入り込んで行った果てに、結局裸のガット弦とバロック・クラシック弓を手にするところまで来てしまった….
もちろん古楽器を演奏することはインタープリテーションの正当性には直結しないし、
今後全ての演奏会でこのセッティングで弾く訳ではない(と思う)。ただ今回は「理論と美の一致」への追求の結果、裸のガット弦の音の響きにすっかり魅了されてしまったというのが事実だ。ストラディヴァリウスがまさに水を得た魚のように、昔を思い出して心から喜んでように感じられるのだ。
演奏家の役割はなんだろう? 私は、昔の音楽の意味を正確に、かつ生き生きと伝えていくことだと思っている。当時の演奏が実際にどのようなものだったかを正確に知ることができないけれど、当時の数多くの音楽家がわざわざ教科書を書き残してくれているからには、完全に無視するわけにはいかない。音楽家や聴衆にとって大切なこれらの教科書の多くは、大きく分けて二つの要素を説く。一つ目の要素は数え切れないルール、そして二つ目は「Affect」(情感や良い趣味、感覚、情緒)についてだ。

このAffect についてはもうミステリーとしか言いようがない。説明しても説明しきれないところが私たちの住むこの世界と音楽にはあり、どんなに賢いロボットにも解せない事、それこそがまさしくAffectではないだろうか?

「…指示された通りに演奏するのではなく、しっかりとした感覚(Empfindlichkeit)を持って演奏しなくてはならない。表現すべきアフェクトに自らが浸り、ニュアンスをつけ、シュライファー、アクセント、強弱など、一言で言えば、趣味の良い演奏に必要なことの全てを健全な判断力や長年培った経験を通して、うまく演奏できなくてはならない。」(L.Mozart)

Türkの記述は私が最も頻繁に考える事だ:「Wird er bald kommen? (彼は来るだろうか?)という言葉でもそれを語る人の調子だけで全く違った意味を持つようになる。それは心からの願い、激しい焦り、愛情のこもった懇願、横柄な命令、皮肉、といったものを表現することができる。」
そしてアーノンクールはその約200年後に記している。「(現代においてモーツアルトの演奏で)大きな感情の起伏や極端なダイナミックの差は、音楽を”ロマンティック”にしてしまう。こうした演奏は非モーツアルト的と見做されてしまう。しかし深い悲しみから無垢な喜びに至る人生のあらゆる事柄が豊かに抱擁されているのだ。あたかも一枚の鏡を顔面に突きつけるように、私たちを怯えさせる。その音楽はただ単に美しいだけのものではない。モーツアルトの音楽は恐怖でさえある。

もう一つの ”ルール” については、あらゆる教本がありとあらゆる説を説く。

その多くは一致しているが、時には反対の事もある。その一つ一つを見てゆくのは実に愉快だ。そうして例えば「私たちは以前つけるのが当たり前だったスラーをつけないという間違いに、いつの間にか違和感を感じなくなってしまった」ことに気づく。

「”点”にはもっと一般的な意味がたくさんある。いや、むしろ音楽の前後関係によっては意味が変わると言っていい。」これはちょうど我々日本人が漢字を使う時に前後の文字によって読み方が変わるのと似ている。

スラーをつけるべきところに作曲者が書いていないからと言う理由でつけず、点が書いているからと言ってその全てをスタッカートやスピッカートにすることを、当時の作曲者は望んでいなかった。

CPE.Bachはスタッカートでもレガートでもなく時価いっぱい保持するのでもない音符は時価の半分とするが、それでは短すぎるし曲の性格から考えて合わない場合もあるというのがTürkの意見だ。スタッカートの長さは曲の性格によっても違うべきなのだ。

Leopoldによれば、楔も色々な意味をする。カンタービレの時もあれば、短く軽く弓を跳ねる、または強く強調する(当時アクセント記号がまだなかったから)、区切る、などコンテクストによって七変化する。「前もって記載されたスラーは正確に守らなくてはならない。また多くの楽曲ではこれが全く記載されていないので 趣味良く正しいところでスラーをつけたり、あるいは切って弾けるようにならなくてはならない。」つまり何も指示のないところでは演奏家に任せるが和声や曲の性格をよく考えて欲しいと言うわけだ。

 前打音がかつてアクセントと呼ばれたように、「ひと弓で2音ずつ演奏する場合、最初の音にアクセントが来て、幾分強く演奏されるだけでなく、少し長めに保つ。二つ目は柔らかく静かに、そして少し遅らせて続ける。表現のためのアクセント音の強調は大抵Nota Buona(強拍)につけられる。

またミシェル・コレットは点のついている音符について「同じ長さで弾くように」という意味だと記している。当時は同じ時価の音を不平等な長さで演奏するのが常であったからだ。随分前にG.Cascioli宅でヘンデルの弟子、John Christopher Smith (1712-1795)のオルガンロールを聞いたことがあるが当時のイネガル演奏を今日に伝えるものだった。

 

 スピッカート奏法について、GLP.Sievers は1821年、Wiener Zeitschriftにフランスのヴァイオリニスト、ピエール・バイヨ(Pierre Baillot 1771-1842) の演奏に際し驚きの念を込めて次のような批評を書いている。「彼のショルト(デタシェ)は、しっかりとしたボウストロークは全くせず常に飛び跳ねて奏され、このジャンルで最先端のヴァイオリン演奏と言える:彼はこのように30〜40小節のパッセージを完璧に演奏した上、最後の音符は最初の音符と同じ冷静さをもって終えた。」

またヨアヒムの師であるヨゼフ・ベーム(Joseph Böhm 1795-1876) の演奏評にはこのようなものがある。「ベーム氏はまだ若いが、高度な演奏技術を習得している。この芸術家がバイヨを聞いて彼を模範とする機会があったかどうかはわからないが(訳注:ベームはパリに行ったことがない。従ってバイヨには会っていない。)、確かなのは、彼がバイヨによって新しく発明され、 これまでドイツのヴァイオリニストによって使用された事のない スタッカートまたはショルトを模倣するのに成功したということだ。」 

 つまり当時のウィーンの批評家によるこうした評はモーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンの作品が18世紀当時、スピッカートでは弾かれていなかったことを証明するとC.Brownは主張する。

 シンドラーは新しく発明されたスピッカート奏法を快く思わなかった。それは専らヴィルトゥオーゾ奏者の奏法で、すべての楽曲にはふさわしくないものであり、ベートーヴェンの交響曲やらプロメテウス等ありとあらゆる古典作品への乱用は「悪魔的効果を催す」と記している。ベートーヴェンの弦楽三重奏op9 、1番の最終楽章がスピッカートで演奏された際には「格調高い音楽がサロン音楽になり下がってしまう」とまで述べ、嫌悪感をあらわにしている。

フェルディナンド・ダヴィッドはシンドラーへの手紙に「ストローク(スピッカート)を速いテンポでのみ適用できるというのは私にとって新しい事実です。 以前は遅い速度の際に使用されていましたが、もちろん弓を無造作に落とすのではなく、音がドライにならず共鳴するように、良く響かせる必要があります。」と記し、また自身のViolinschule (1863) には 「弓が弦から完全に離れてはいけない。弓を強く振動させ、フォルテは弓の腹、ピアノは弓先で弾く事」と指示する。

 

ジェミニアーニ (1687-1762) はヴィブラートをできるだけ多く使うように言ったが、これは我々が今日耳にするようなヴィブラートではない。数多くある装飾音の中の所謂 Trembling・Tremolo・ベーブングというもので、顎当てのなかった時代の話である。

 CPE.Bachはベーブングについて「長くて情動的な音符はベーブングをつけることができる」とする。「その場合、音符の時価の中頃から始めるのが一番である。特に鍵盤楽器では音を長く持続したり音量を増減したりして明暗をを十分につけることができないため、装飾音を使いなさすぎて隙間や単純さが透けて見えたり、反対にあまり使いすぎて不明瞭で馬鹿げたものになる。」 ヨハン・フリードリッヒ・シューベルト (1779-1811)はちょっと過激だ。

「かつては美しいと考えられていたが、今では上品な歌手からは決して聞かれない。耳が肥えている人なら誰でも、よく聞けばこの装飾(ヴィブラート)が嫌悪感を呼び起こすことを理解するだろう。しかし、十分な長さのすべての音符にそれを使用するヴァイオリニストはまだいる。私は、ヴァイオリニストが長い音符で使用することを非常にまれに許すが、歌手は決して使用するべきでない。」

「全ての音を”トレモロ”で演奏するのは誤りであり、自然に生じたかのように思えるように、つまりその音があたかも開放弦の音であるかのように、トレモロを入れなければならない。」

と言うL.Mozartの記述は、私に当時の製法に近いガット弦を試してみたいと思わせた理由の一つだ。なぜなら私は現代の弦で奏された開放弦(特にE)は決して美しいとは思わないからだ。最も、彼自身も独奏者にはできる限り開放弦の使用を避けるように勧めてはいるが。

前打音について、細部においてはそれぞれの時代や地域によって理論の違いがあるが、例えばTürkのものが細部まで詳しく非常に良くまとまっていると思う。大きく分けると長い前打音と短い前打音があり、短い方が相応しい17のケースと、特に短く奏されるべき2つのケースを打ち出している。

「装飾音は18世紀においてなくてはならない必需品である。いくら優れた曲であっても一切つけずに弾くと魅力の多くを失い、本来の効果の半分も発揮しなくなる。」「更に、悲しみ、苦痛、憂鬱、潔白、素朴など性格を持つの楽曲では決してつけすぎてはいけない。 ゆっくりの曲ではトリル、モルデント、シュネッラーよりも、アンシュラーグ、シュライファー、前打音の方が好ましい。曲のテンポに合わせて装飾音を早くしたり遅くしたりする。」そして「単調にならないよう、いろいろな装飾音を交替するべき」である。後打音は「和声的誤りを生んだり良い趣味に反するので指示がないのに付け加えるのは差し控える。テンポが遅めのとき節約気味に用いると良い。」(Türk) 「トリルはさらっと終わることもできるし装飾をつけて終わることもできる。短いトリルはすべて流行りの前打音あるいは後打音と一緒に演奏して良い。」 (L.Mozart)

「フェルマータでの装飾はAllegroでは単純に奏され、緩徐でしかも情動的な曲では装飾されなければならない。」(CPE Bach)    また、「本来のフェルマータの前についた前打音も、いやその前打音ばかり主音符までも装飾することができる。概して言えば、アフェクトが要求する限り、フェルマータの前の音符の時からすでにテンポを少しずつ遅くしていくのが普通である。… 悲しい曲ではむしろ全く装飾しないことを勧めたい。」(Türk)

句読法は最も重要なポイントだと思う。

Türkの有名な喩えだ:

「Er verlor das Leben nicht nur sein Vermögen という文章も、Er verlor das Leben, nicht nur [彼は命を失った、失ったのは財産だけではない] というように区切るか、Er verlor das Leben nicht, nur [彼は命を失うことはなかった、失ったのは財産だけである]と区切るかによって、意味が正反対になる。」

強調されるべき音は・強拍・Abschnitt / Einschnittの開始音・バスと不協和音にある音・不協和音程を予備する音・シンコペーション・長さ高さ低さによって際立つ音・和声、他の音符によって際立つ音・偽終止などで、真面目、荘厳、高貴な曲の付点は重く保持され短い音は一層速く奏される。

 

CPE.バッハは「付点音符に続く音符は常にその音価の時価が要求するよりは短く奏される。従ってこの短い音符に単線をつけるのは余計なことである。」と記しているが、21世紀においては決して余計な事ではない、と私は言いたい!

L.Mozartも、付点や短い休符に続く短い音符は遅らせて素早く弾くように、教本で繰り返し説いている。付点音符は短すぎるよりも長すぎる方が良い、と何度も念を押す。

「ゆっくりした曲では拍子を正確に保つために付点のところで最初弓を押して強調して良い。しかし拍子が安定すれば決して強調してはいけない。」

「速い楽曲では付点ごと弓をあげなくてはならない。そうすれば飛び跳ねるような演奏になる。遅い楽曲では眠たくなるような演奏にならないため付点を長く保たなくてはならない。短い休符も早い曲ではしばしば延長される。」(L.Mozart)

アグリーコラ (1720-1774) はこの付点がリヴァースされた場合も同じであると説く。

C.Brownによれば1830年代までは3連音符の付点の表記が存在しなかったため、いつも8分音符や16分音符で表記されることが常であった。Löhleinも指摘するように3連音符の連なる速いテンポの楽曲では付点が8分音符や16分音符で書かれていたとしても、その付点のリズムは3連音符になる。

テンポの揺れに関しても様々な興味深い記述がある。

「激烈、怒り、憤激、狂乱といった性格の曲では、最も力強い箇所で幾らか加速気味に演奏することができる。」そして「2つの活発で熱烈な楽想の間に挟まれた優しく心にしみる箇所はいくらか(少しずつではなくてすぐさま少しだけ)減速する。」(Türk)

 

「ある長調曲においてある楽想が短調で繰り返される時、アフェクトの関係でいくらか遅めに行われる。疲労、優しさ、悲哀などを表現するフェルマータに入るときも拍節をいくらか遅めにするのが普通である。」(CPE Bach)

 C.Brownの研究によればAllegemeine Wiener Musik-Zeitung (1841) で「演奏家は、さまざまな方法で一般的なテンポを変更できる。演奏者が精通している四重奏、五重奏、さらにオーケストラ作品の演奏では、ピアノ、クレッシェンドからフォルティッシモに至るまで、いわば、より興奮気味で力強いパッセージの表現において、一時的な加速や躊躇によってテンポがいつの間か変わらないことなどあり得ない。これは、生き生きと感じられ 生き生きと演奏されるための基本だ。さもなければ、演奏はオルゴールのように単純で機械的になる。」とある。この評ではフォルティッシモでは自然と速くなり、ユニゾノでは自然と遅くなるものだと主張している。

また、ヨアヒムが教鞭をとっていたベルリン音大ではアシンクロニー技法を教えられていたという。以下は1902-1909年の間そこで勉強したMarion Rankenの記述(1930)だ:

「カルテットで一緒に弾くことについてヨアヒムの特別の注意を引いたり、過度の努力をしたという感覚はありませんでした。現代における機械的な ”合わせ” の代わりに、精神的なアンサンブルがありました。1つの共通の目的がそれらをすべて結び付け、皆で一緒に目標を達成することを意図していたという感覚です。近頃批評家に賞賛されている<完璧なアンサンブル演奏>について最近クリングラー(Karl Klingler 1879-1971)と話しましたが、彼は ”個人的にはそういうアンサンブルは欲していないのですが、そんな事を印刷すれば私が誤解されてしまうだけです” と言っていました。」

Türkの時代に戻れば、「テンポ・ルバートでは基本声部は拍節通りに奏される。」

CPE Bachも同様に説く「一方の手がすべての拍をこの上なく厳格に打鍵しているのに、もう一つの手は拍節に反して演奏しているように聞こえるとき、その奏者はなすべきことをすべて成し遂げていることになるのである。すべてのパーツが同時に打たれることはめったにない。」「正しく行うには、優れた判断力と豊かな感受性が必要である。その両方を持ち合わせる人なら、僅かな束縛をも許さない全くの自由さを持って自分の演奏を整えるのに困難を感じないであろうし、また必要であれば、どんな楽想をも歪めることができるであろう。」  

L.Mozartの記述は特に面白い「その名に値する真の名演奏家の伴奏をするときには、決して滞ったり急いだりせず、テンポを一定に保って演奏しなくてはならない。さもないと独奏者がいい演奏をしようとしているのにオーケストラがぶち壊してしまうからだ。」

「独奏者がそれなりの人なら伴奏者はその人に追随することはないだろう。さもないと彼のテンポ・ルバートを損なってしまうからである。」 

 

 私たちの先生の先生の先生…と辿って行けば必ずやL.モーツアルトやC.チェルニーにたどり着くだろうと言う。実際に教本を読み返せば、そういえば昔先生からそんなことを言われたなあ、と思い出すことも多い。しかし時と共に失われてしまった教えもある。それは仕方のないことだ。フランス革命で伝統が失われたとアーノンクールは書いている。きっと紛争や革命の度に失われてきた文化は多いのだろう。

我々の多くは19世紀以降、主に世界大戦後1950年代の理解に基づいて教育されてきた。そこに録音の普及による ピリオド奏法のイメージが加わることで、先述の完全ノンヴィブラート奏法や全ての音を短く一緒に均一に演奏するような事態を招きかねない。そうすると19世紀、更には18世紀当時の本質から遠のいていく。恰もそれを予視していたかのように数々の音楽家が教本を残してくれたのは、なんとありがたい事だろう。

ここに記したのはほんの一部の抜粋に過ぎないし、もっともその道の専門家はより多くのことを教えてくれるけれど、少しでも面白いと思ってくれる人がいれば嬉しい。

 

以上、最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

-Francesco Geminiani : Art of playing on the violin op. 9 (London,1751)
-Johann Joachim Quantz : Versuch einer Anweisung die Flöte traversiere zu spielen (Berlin, 1752)
-Carl Philipp Emanuel Bach: Versuch über die wahre Art das Clavier zu spielen (Berlin, 1753/1762)
-Leopold Mozart: Versuch einer gründlichen Violinschule (Augsburg, 1756)
-Johann Friedrich Agricola: Anleitung zur Singkunst (Berin 1757)
-Georg Simon Löhlein: Clavier-Schule (Leipzig, 1773)
-Domenico Corri : A select collection of the most admired songs, duets (Edinburgh, 1779?)
-Michel Corrette : L’art de se perfectionner dans le violon (Paris, 1782)
-Daniel Gottlieb Türk : Klavierschule (Leipzig, 1789)
-Bartholomeo Campagnoli : Nouvelle méthode de la mécanique progressive du jeu du violon (Leipzig, 1824)
-August Eberhard Müller/ Carl Czerny: Grosse Fortepiano Schule (Leipzig, 1830?)
-Pierre Baillot : L’art du violon (Paris, 1835)
-Louis Spohr : Violinschule (Leipzig, 1832)
-Charles de Beriot : Methode de violon (Paris & Mainz,1858)
-Ferdinand David: Violinschule (Leipzig,1863)
-Carl Reinecke: Die Beethoven’schen Clavier-Sonaten. Briefe an einer Freundin (Leipzig, 1897)
-Nikolaus Harnoncourt : Der musikalische Dialog (1984)
-Nikolaus Harnoncourt : Musik als Klangrede (1985)
-Clive Brown: Classical & Romantic performing practice 1750-1900 (Oxford, 1999)